まるめがねのまわり道

ペーパードライバー歴15年の主婦の活動記録

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【2024年の始まり】悲しいニュースとの向き合い方

こんにちは。

 

新たな一年が始まり、今年1回目の「まるめがねのまわり道」の記事は新年の抱負について書こうかなと考えていました。

 

しかし、年明けから悲しく衝撃的なニュースが続き、新年の抱負などを書く気持ちになかなかなれずにいました。

 

悲しいニュースとどのように付き合うべきか

ここ数日で考えたことを書き留めておきたいと思います。

 

【きっかけ】2024年 能登半島地震

元日、一通りやることをやった後に椅子に座りながらホッとしていたとき。

長く続く揺れを感じました。

 

何だかイヤな予感がしてテレビをつけてみると、

津波警報と避難を呼び掛けるアナウンス。

 

その後も津波や火事、家屋が倒壊した映像、

犠牲者や行方不明者の詳細を報じるニュース。

 

 

石川県は私が昔、数年だけ暮らしていた場所です。

親戚や友人は今も住んでいて、引っ越しの多かった私には「ふるさと」と呼べる場所でもあります。

 

親戚や友人は皆無事ですが、

家具の倒れた様子を撮った写真を見せてもらい、相当大きな揺れだったことがわかりました。

 

 

そして、地震の被害のニュースを連日目にして

 

家をなくした人や避難している人はどんな気持ちだろう

犠牲になった人はつらかっただろう

 

という気持ちになっています。

 

【考察】地震のニュースでつらくなる理由

今回、私が昔住んでいた石川県を中心に地震の被害の状況が明らかになってきています。

 

直接の被害を受けているわけでもないのに、なぜ悲しいニュースを目にしてつらいな…と思うのだろう。

 

ここ数日、考えを巡らせていました。

 

自分にも起こりうることだから

日本に住んでいれば自然災害は毎年のように起こります。

地震の他にも水害や近くの山が噴火して被害を受けるかもしれない。

 

安全に生活を送りたいけど、

誰もが被災者になる可能性があるのです。

 

だから、今回の地震のニュースを目にすると

自分がその立場だったらと、自分ごととして考えてしまいます。

 

何もできないから

そしてニュースを目にする度に

自分には何もできないという虚無感のようなものが生まれます。

 

人命救助ができるわけでも、物資を手渡しで届けられるわけでもない。

(頼まれていない私がいま行っても混乱を招くだけ)

 

何かしたいけど何もできないよな、と悶々とした気持ちを抱いているのです。

 

ニュースを見る時間が多かった

悲しいニュースは普段もたくさんありますが

今回はお正月休みでテレビを見る時間が多かったこともあり、いつも以上につらい気持ちが強い気がします。

 

 

【結論】悲しいニュースから自分を守る方法

連日の地震関連のニュースで生まれた悲しい、辛いという気持ち。

 

もちろん、被災者の方々や家族が一番辛いはずですが、

被害の状況を目にすると、遠くに住む私も心が痛みます。

 

そんな気持ちとどう付き合うべきか。

 

数日間考えてたどり着いた答えは

 

私は今できることを精一杯しているんだ」と思うこと。

 

つらいな、と共感することの他にできることは今のところ考えつかないです。

(信頼できる機関への募金くらいでしょうか)

 

だから、今できることは精一杯やっている。

 

精一杯以上のことはできないのだから、それ以上のことを自分に求めるのはやめようという考えに至りました。

 

一方で、苦しんでいる人がいるのに自分だけ通常運転で良いのかなという罪悪感もあります。

 

しかし、時間があるとスマホをやたらと見てしまい、必要以上に悲しいニュースが目に入るような気がします。

 

そのため、むしろ通常通り忙しく過ごし

ニュースから少し距離を置くほうが自分の心を守るのには良いのかなと思います。

 

今できる精一杯をやっている、

そう思うことが自分にとっては大事だと気づきました。

 

 

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今回書いたことで不快に思う人もいるかも…と書くかどうか悩みました。

それでも、私と似たような状況の方もきっといるはずだと思うので、書くことにしました。