まるめがねのまわり道

ペーパードライバー歴15年の主婦の活動記録

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020_運転免許を取らせてくれた祖母の話

当ブログ「まるめがねのまわり道」へのご訪問ありがとうございます。

ペーパードライバーを卒業し、1人で運転するようになった私。これまで私が経験したことをこのブログに書いてきました。

今日は記念すべき?当ブログ20個目の記事なので、いつか書きたいと思っていた私の祖母の話を書こうかなと思います。

なぜペーパードライバーや運転の記録が祖母に関係するのか。

それは18歳の時、運転免許を取るために祖母が協力してくれたからです。

 

 

 

私が免許を取る18歳の頃に住んでいたのは地方都市の郊外でした。歩いて5分程度のところにバス停があり、バスに15分も乗っていれば最寄り駅に着きました。終バスの時間が早いこと以外は不便に感じることはあまりありませんでした。

 

一方、私の祖母の家(母の実家)は田んぼに囲まれた田舎にありました。私の母も18歳になってすぐに免許を取っていて、車がなければ不便な場所でした。

車がないと不便な場所なので、祖母は自動車免許を取ろうか祖父に相談したそうです。

しかし、その返事は「危ないからお前は取らなくて良い。」

子育てが落ち着いた頃から祖母はパートに行くようになりましたが、車で通勤していた祖父がパート先への送迎も行っていました。

祖父は祖父なりに祖母のことが心配で車の免許を取らせなかったのだと思いますが、車がなければスーパーにも行けない場所です。祖母も何回かは「車の免許があれば...」と思ったに違いありません。

 

そして私が18歳になる頃。

祖母はまだまだ元気でパートをしていました。

 

そんな頃、母に言われました。

「18歳になったし、車の免許を取りにいったらどう?」

私からすると、車の必要性を感じていなかったのと、そもそも教習代ないじゃない?という感じでした。

しかし母から言われたのは「おばあちゃんが運転免許を取るなら使ってほしいと、お金を送ってくれたのよ」でした。

 

祖母は十数年続けたパート代から私の教習代を出してくれました。

祖母にお礼の電話をした時も「ええよ~」としか言われず、本心を聞くことはなかったけど、おそらく自分が取らなかった運転免許を孫の私に取らせてあげようという気持ちがあったのだと思います。

 

そんな祖母はパートをしていた頃はとてもイキイキしていましたが、祖父が定年を迎えて辞めてしまいました。もちろん、祖父との時間を過ごすためもあったと思いますが、パートへの交通手段が絶たれることもその理由の一つだったと思います。

 

祖母は私が運転免許を取って5年ほど経った頃に亡くなりました。

 

私の運転する車に乗ることを楽しみにしていたかもしれませんが、一度も叶いませんでした。もちろん、祖母は運転すれば事故のリスクがあることも理解していたはずなので、それで責められることもありませんでした。

 

私がペーパードライバーを卒業したい!と思ったのは、教習代を出してくれた祖母への後ろめたさからではなく「車を運転できたら良いのになあ...」ということが重なったからですが、今運転できているのは祖母が免許を取らせてくれたおかげです。

久しぶりに祖母のことをこんなに長く考えましたが、イキイキとした姿を思い出せて嬉しい気持ちになれました。

きっと事故無く運転して欲しいと思ってくれているはずなので、これからも安全運転を心がけながら運転していきたいと思います。